聞いてください看護婦さん
“きいてください看護婦さん” “きいてください先生”
看護師となりこの3月で34年が経ちました。
看護師への扉が開かれたのは、ちょっとしたきっかけ、“豚の出産”でした。
23歳からのスタートでしたが、看護学生1年目に出会った“詩”はそれからの道のりの土台になりました。今回はその“詩”を紹介したいと思います。
あのころは“きいてください看護婦さん”、いつの間にか、“きいてください先生”に読み換えていることに最近に気づきました。
今までの感謝をこめて、この詩を皆様におくります。
皆様にとっても出会いの窓が開かれますように。
ありがとうございました。
2016/3/30 飯塚 千鶴子
きいてください、看護婦さん
ルース=ジョンストン
ひもじくても、わたしは、自分で食事ができません。
あなたは、手のとどかぬ床頭台の上に、わたしのお盆を置いたまま、去りました。
そのうえ、看護のカンファレンスで、わたしの栄養不足を、議論したのです。
のどがからからで、困っていました。
でも、あなたは忘れていました。
付添いさんに頼んで、水差しをみたしておくことを。
あとで、あなたは記録をつけました。わたしが流動物を拒んでいます と。
わたしは、さびしくて、こわいのです。
でも、あなたは、わたしをひとりぼっちにして、去りました。
わたしが、とても協力的で、まったくなにも尋ねないものだから。
わたしは、お金に困っていました。
あなたの心のなかで、わたしは厄介者になりました。
わたしは、1件の看護的問題だったのです。
あなたが議論したのは、わたしの病気の理論的根拠です。
そして、わたしをみようとさえなさらずに。
わたしは、死にそうだと思われていました。
わたしの耳が聞こえないと思って、あなたはしゃべりました。
今晩のデートの前に美容院を予約したので、勤務のあいだに、死んでほしくはない と。
あなたは教育があり、りっぱに話し、純白のぴんとした白衣をまとって、ほんとにきちんとしています。
わたしが話すと、聞いてくださるようですが、耳を傾けてはいないのです。
助けてください。
わたしにおきていることを、心配してください。
わたしは、疲れきって、さびしくて、ほんとうにこわいのです。
話しかけてください。
手をさしのべて、わたしの手をとってください。
わたしにおきていることを、あなたにも、大事な問題にして下さい。
どうか、きいてください。看護婦さん。
American journal of nursing .1971.2